Deep Water Bluez

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2009年 06月 30日

梅雨の渓

突然の誘いに二つ返事
久々に渓流に出向いた
関東にこんな秘境めいたところがあることに嬉しくなる
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今回は3人での釣行
G君&I君、共に若い釣り人だ
ここは一つオトナの余裕を見せねばと思っていた
まず初めにタミヤTシャツで気の抜けた感を演出し
G君の度肝を抜いたまでは良かったが
現地でいざ準備をした時 
僕一人が本格的度100パーセントの格好で余裕のかけらも無い
I君、渓流でコンバースってカッコ良すぎだよ!

しかしタミヤTの狙いは別のところにある
そう、魚を油断させるためだ。
渓を上る時は一歩一歩に細心の注意を払い
魚に感づかれないように行動するは基本だが
万が一魚に見られた場合 あまりに完璧な格好だとマズい。
人の姿を見た時 「こやつ、出来るな」 と思われたら
喰うモノも喰わなくなるではないか。
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そこでタミヤT。
「あ〜 普段は家でプラモばっかりつくってるのね」
「貴方のするべきキャストは違うキャストでしょ」
そう思わせる事が出来たらこちらのもの。
油断しきった彼女たちはは
目の前に泳いで来た小魚(らしき物体)を餌と信じて疑わないはずだ。

くだらんハナシはおいといて・・・さて、釣りの話を。

奥へ、奥へと渓を遡る。
先行者の気配もすっかり無くなった頃
自分の意識も軽くなってくる。
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いつもそうだ。
釣り始めはいろんな知識やイメージが邪魔になる
こんなときはああする、あんなところはこう攻める・・・
ああ鬱陶しい
集中してくると 考えることを忘れ始める
そうなったらしめたものだ
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川を登るルートも
身体が自然に解を導き出す
岩から岩へ飛んだり
岩壁にへばりついたり
水に飛び込んだり
まるで動物になったような気分だ
そんな時が一番楽しい

ここの渓流は「幽」な感じ
薄暗がりの中ぼんやりと浮かぶ
優しく静かな流れ
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山奥でたまに出くわす人工物
朽ち果て 自然にとりこまれつつある姿に
得も言えぬ美を感じるときがある
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拝みたくなるような
神聖な雰囲気は何故
理屈で考えるのは無粋
ただ見つめるのみ
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今回一番大きかったのは25㎝くらいの岩魚
二段滝の滝壺にいた
ありがとう
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直後に無くしたレイチューン (号泣!)
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山奥に生息する原人
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夕涼み
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週末も終わり
普段の生活に戻ってくると
あの川は本当にあったのだろうかと思うことがある
川を上る途中のどこかで
あの世に足を踏み入れていたのでは
そんなことを考えてしまうくらい
僕らの行きている世界とは違う場所だ

どっちかというと向こう側が自分の居場所じゃないかと思う事がよくある。
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by paranoia1970 | 2009-06-30 06:20 | ルアー
2009年 06月 27日

夏、来たような

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今朝起きてみたら
睡蓮鉢にオオカナダモの花が咲いていた。
ちりめんのような薄くしわしわの可憐な姿に 
守ってあげたい本能が目を覚まし
もうちょっと日当りのいいところに動かそうと思ったら
花びらが濡れた途端
花そのものが濡れたティッシュのようにくしゃくしゃに・・・

なんと! 
水生植物の花が水に弱いってどういうことよ?!
一つ勉強になりました。
許してくだされオオカナダモさん。

隣には姫睡蓮のつぼみが伸びて来ています。
そろそろ咲くかなあ。


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ハタケも眩い日差しの下
元気に光合成中。
(BGM: UA/黄金の緑)

ジャガイモ!
ナス! 
エダマメ!
みんな美味し!
 



明日は久々に渓流へ

ああ 本当に久しぶり!!
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エヴァも観に行かなきゃなあ〜
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by paranoia1970 | 2009-06-27 18:48 | オススメ
2009年 06月 18日

高貴と卑俗

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卑俗な人間たちには、
全ての高貴で寛容な感情は不得策なものと映るから、
それらが信じがたいことのように見える。
卑俗な人々は高貴な類の事柄を聞くと
眼をパチつかせて、こう言いたがる。

『そこにはきっと何かしらの相当な利益があるのだろう。
われわれは全ての壁を通して見る事はできないから』と。

かれらは高貴な人間がどこかの抜け道で
利益を求めているかのように邪推するのだ。

そして高貴さに利己的な意図や利益がないという点ではっきり
納得がいくと、今度は高貴な人間を愚か者として想定する。

かれらは高貴な人間が喜ぶ姿を軽蔑し、その眼の輝きを嘲笑する。

『なんだって損をすることをよろこんでいられるのだろう。
なんだって見えすいている事柄にむざむざのることができるのだろう。
それは高尚な感情につきまとう理性の病気に違いない』

卑俗な人々はそう考え、軽蔑の目つきをする、
さながら狂人がその狂気によって味わう喜びを軽蔑する様に。

卑俗な人々の特徴は、みずからの利益をわき目もふらずじっと
見つめること、また目的と利益を目指すこの思考が、
自己のなかの最も強い衝動以上に強いということである。

自己の衝動によって不得策な行為に誘われないということ、
これは卑俗な人間の理性であり自尊心である。

そしてかれらと比べれば、高貴な人間は非理性的である。

なぜなら高貴で寛容で犠牲を厭わない人間は、
ほんとうに自己の衝動に従う、
そしてかれの最善の瞬間において、
彼の理性は休止するからだ。

生命を賭して仔を守り、あるいは交尾期にはいると
死の危険を冒しても雌を追いかける動物は、
危険や死のことについて考えない。
動物の理性は休止する。
つまり仔や雌へのよろこびと、
そうしたよろこびを奪われるかもしれないという恐れが、
動物を完全に支配するからである。

動物は平常よりも愚かになる——高貴な人間も同様だ。
高貴な人間は、理性を沈黙させるか、もしくは理性を
従わせるほどの強さを備えた快感や不快感を抱く。
そうしたとき、かれの心臓は頭へと昇ってゆく。
ひとが『情熱』について語るのはこういうときである。

情熱の非理性、そして情熱の逆理性は、
卑俗な人間が高貴な人間を軽蔑する当のものである、

ことにその情熱が、理性の立場からすれば
まったく空想的で勝手に見えるような対象に
向けられている場合はまさしくそうである。

卑俗な人間は、情熱に屈している人間に対して憤慨する。
かれらは人が情熱の為に生命と名誉すら賭すことが理解できない。

高貴な人間は、例外へと向かう。
かれは独自な価値基準を持っている。
だが、かれは大概の場合、己が特殊かつ独自の
価値基準を例外的に持っているということを信じない。

かれは寧ろ、自分の独自の価値と無価値の判断を
一般に通用する価値と無価値と信じ、その為、
理解しがたい非実際的な存在となる。

高貴な人間が卑俗な人間を卑俗な人間として
理解し取り扱うだけの理性の余裕を持つ事は、
ほぼありえないことである。

大概の場合、かれはかれの情熱を万人がそのかげに
秘めている情熱と信じ、まさにこの信仰によって、
情熱はさらに溢れ、雄弁になってゆく。

だが、このような例外的人間たちが己を例外として
感じることができないのならば、どうしてかれらは卑俗な人間を
理解し、ありきたりなものを評価することができようか。

こうしてかれらも人類の愚劣や、
反目的性や、幻想について語る。

そのとき、なんと世界の成りゆきが気違いじみていることか、
またなぜ世界は『世界にとって必要である』ところの
ものを信じようとしないのか、心から不思議に想いながら

——これが高貴なる人々にとっての永遠の不当性である——

(フリードリヒ・ニーチェ「華やぐ知慧」)



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by paranoia1970 | 2009-06-18 05:54 | オススメ
2009年 06月 14日

Bluez

戯れ言
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飛べない鴉

籠中の蜥蜴

盲目の梟

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by paranoia1970 | 2009-06-14 18:41 | ルアー